07月07日付 朝日新聞の報道「「全員無罪」父ぼうぜん、泣き崩れる母 砂浜陥没事故」へのコメント:
何年か前にあった事故の裁判
http://www.asahi.com/national/update/0707/OSK200607070090.html
兵庫県明石市の人工浜陥没事故で女の子が死んだ。
いたたまれない事件である。
その責任をめぐる裁判の判決が「全員無罪」だそうな。
当然ながら遺族は「納得いかない」
という立場で主張します。
お父さんのセリフ
「砂浜を管理する立場にあった被告らに責任がないのなら、
手をつないでいなかった私が悪いというのだろうか」
正直、微妙な問題だとおもう。
最近この手の裁判「誰かの事故死を誰の責任にするか」というのがよくある。
肉親を失った遺族としては事故現場の管理者に
責任を負わせずには腹が収まらないだろう。
しかし、本当に事故現場の管理者はそこまでする義務があったのか?
と考えると、個人的にはそうは思わない。
セリフ1:「この世に100%安全な場所などない。作ることもできない。」
このセリフは、管理者の都合の良い、言い訳に聞こえるでしょうか?
(ちなみにこのセリフは管理者のものではなく、私の意見です)
以下、少し思考実験をしてみよう。
以下のセリフも完全に私の想像であり、それ以上のものではありません。
とりあえず、この事件での管理者側の過失うんぬんではなく
夫婦間で、責任の有無について話し合います。
議題は「責任はお父さんにあるのか、否か?」となりました。
少なくとも、子供のせいにはできません。
お母さん:「なんで、娘の手をつないでいなかったのよ!」
お父さん:「娘が勝手に動きたがったんだ、仕方ないだろ」
お母さん:「手を離したら離したで、何で見ていなかったのよ!!」
お父さん:「俺だって考え事してたんだよ、ずっと見てろっていわれても現実にはむりだよ。」
(この辺まではお父さんの言い訳も、説得力を持っています)
お母さん:「目を離すなら、どうして100%安全なところに、娘を連れて行かなかったのよ。!!!」
お父さん:「危ないなんて知らなかったよ。俺が確認しなきゃいけなかったのか?」
お母さん:「100%安全であることを確認しないうちに、娘の手をはなしたのね。しかも、その後の安全のための監視も怠ったのね!!!」
お父さん:「...」
どうでしょう、私の勝手な想像ですが、このように詰め寄られたら、
お父さん、分が悪くないでしょうか?
最後のお母さんセリフは、ちょっとアメリカの弁護士風にしてしまいました。
アメリカのやり手弁護士だったら、
100%安全を確認せずに子供の手をはなす父親が悪い。
といいそうです。
このときお父さんが上のセリフ1を言ってみたらどうでしょう。
お父さん:「この世に100%安全な場所などない。作ることもできない。」
このお父さんのセリフは、言い逃れでしょうか?それとも現実的な回答でしょうか?
私は現実的だと思います。
むしろ、お母さんの詰め寄り方のほうが、言いがかり的です。
(何度も言いますが、これらのセリフは私の創造です。)
それでも、「管理者側が悪い」という選択肢を奪った場合、
責任はお父さんにあるのか、それとも誰も悪くないのかを
議論した場合、お父さんに責任があるという結論にも
なりうることがわかりました。
ただ、もしそのように結論付けられた場合、
お父さんとしては、「自分に責任はなく、不可抗力だ」
と主張したいところでしょう。
ただ、「目を離した」という事実により、
お父さんの責任は0か?といわれたら微妙です。
お母さんを遺族側に置き換え、
お父さんを管理者側に置き換えた場合、
おそらく同様のやり取りになるでしょう。
付け加えるとすれば
管理者:「100%の安全を保障しなければならないほどの給料をもらっていません。」
という回答になるでしょう。
管理者としては、給料分以上の仕事をする義務はありません。
100%の保障とは高価な対価が必要です。
それでも実現できるかどうか...
そこを忘れてはいけません。
それが払えないなら、自分でそのような事態にならない
努力をするしかありません。
つまり、お父さんの質問
「手をつないでいなかった私が悪いというのだろうか」
にたいする答えは、「冷たいかもしれませんが、そのとおりです。」
というのが、私の感想です。
私もアメリカの弁護士みたいです。
###
ただ、お父さんとしては、娘の死の責任が自分にある。という結論は耐え難いものがあると思われます。
これが自分であった場合を想像するだけで、やりきれない、どうしようもない気持ちになります。
それに耐えることができないから、外側に悪者を求めてしまうのでしょう。
しかし今回の事件に、悪者はいないという結論になりました。
お父さんはつらいかもしれませんが、
その事実を真摯に受け止めるしかないでしょう。
###
そんなお父さんに、拳闘暗黒伝セスタスにて
恋人を失った青年ルスカに対する師匠のセリフを送ります。
「さぞつらかろうが、自分の脚で立ち上がるしかないのだぞ」
「忘れろとはいわぬ...乗り越えて進むのだ」
話は変わりますが、セスタスのセリフは含蓄のあるものが多いです。
ちなみにエッダはモリモリ食いすぎです。
何年か前にあった事故の裁判
http://www.asahi.com/national/update/0707/OSK200607070090.html
兵庫県明石市の人工浜陥没事故で女の子が死んだ。
いたたまれない事件である。
その責任をめぐる裁判の判決が「全員無罪」だそうな。
当然ながら遺族は「納得いかない」
という立場で主張します。
お父さんのセリフ
「砂浜を管理する立場にあった被告らに責任がないのなら、
手をつないでいなかった私が悪いというのだろうか」
正直、微妙な問題だとおもう。
最近この手の裁判「誰かの事故死を誰の責任にするか」というのがよくある。
肉親を失った遺族としては事故現場の管理者に
責任を負わせずには腹が収まらないだろう。
しかし、本当に事故現場の管理者はそこまでする義務があったのか?
と考えると、個人的にはそうは思わない。
セリフ1:「この世に100%安全な場所などない。作ることもできない。」
このセリフは、管理者の都合の良い、言い訳に聞こえるでしょうか?
(ちなみにこのセリフは管理者のものではなく、私の意見です)
以下、少し思考実験をしてみよう。
以下のセリフも完全に私の想像であり、それ以上のものではありません。
とりあえず、この事件での管理者側の過失うんぬんではなく
夫婦間で、責任の有無について話し合います。
議題は「責任はお父さんにあるのか、否か?」となりました。
少なくとも、子供のせいにはできません。
お母さん:「なんで、娘の手をつないでいなかったのよ!」
お父さん:「娘が勝手に動きたがったんだ、仕方ないだろ」
お母さん:「手を離したら離したで、何で見ていなかったのよ!!」
お父さん:「俺だって考え事してたんだよ、ずっと見てろっていわれても現実にはむりだよ。」
(この辺まではお父さんの言い訳も、説得力を持っています)
お母さん:「目を離すなら、どうして100%安全なところに、娘を連れて行かなかったのよ。!!!」
お父さん:「危ないなんて知らなかったよ。俺が確認しなきゃいけなかったのか?」
お母さん:「100%安全であることを確認しないうちに、娘の手をはなしたのね。しかも、その後の安全のための監視も怠ったのね!!!」
お父さん:「...」
どうでしょう、私の勝手な想像ですが、このように詰め寄られたら、
お父さん、分が悪くないでしょうか?
最後のお母さんセリフは、ちょっとアメリカの弁護士風にしてしまいました。
アメリカのやり手弁護士だったら、
100%安全を確認せずに子供の手をはなす父親が悪い。
といいそうです。
このときお父さんが上のセリフ1を言ってみたらどうでしょう。
お父さん:「この世に100%安全な場所などない。作ることもできない。」
このお父さんのセリフは、言い逃れでしょうか?それとも現実的な回答でしょうか?
私は現実的だと思います。
むしろ、お母さんの詰め寄り方のほうが、言いがかり的です。
(何度も言いますが、これらのセリフは私の創造です。)
それでも、「管理者側が悪い」という選択肢を奪った場合、
責任はお父さんにあるのか、それとも誰も悪くないのかを
議論した場合、お父さんに責任があるという結論にも
なりうることがわかりました。
ただ、もしそのように結論付けられた場合、
お父さんとしては、「自分に責任はなく、不可抗力だ」
と主張したいところでしょう。
ただ、「目を離した」という事実により、
お父さんの責任は0か?といわれたら微妙です。
お母さんを遺族側に置き換え、
お父さんを管理者側に置き換えた場合、
おそらく同様のやり取りになるでしょう。
付け加えるとすれば
管理者:「100%の安全を保障しなければならないほどの給料をもらっていません。」
という回答になるでしょう。
管理者としては、給料分以上の仕事をする義務はありません。
100%の保障とは高価な対価が必要です。
それでも実現できるかどうか...
そこを忘れてはいけません。
それが払えないなら、自分でそのような事態にならない
努力をするしかありません。
つまり、お父さんの質問
「手をつないでいなかった私が悪いというのだろうか」
にたいする答えは、「冷たいかもしれませんが、そのとおりです。」
というのが、私の感想です。
私もアメリカの弁護士みたいです。
###
ただ、お父さんとしては、娘の死の責任が自分にある。という結論は耐え難いものがあると思われます。
これが自分であった場合を想像するだけで、やりきれない、どうしようもない気持ちになります。
それに耐えることができないから、外側に悪者を求めてしまうのでしょう。
しかし今回の事件に、悪者はいないという結論になりました。
お父さんはつらいかもしれませんが、
その事実を真摯に受け止めるしかないでしょう。
###
そんなお父さんに、拳闘暗黒伝セスタスにて
恋人を失った青年ルスカに対する師匠のセリフを送ります。
「さぞつらかろうが、自分の脚で立ち上がるしかないのだぞ」
「忘れろとはいわぬ...乗り越えて進むのだ」
話は変わりますが、セスタスのセリフは含蓄のあるものが多いです。
ちなみにエッダはモリモリ食いすぎです。
コメント
http://www.asahi.com/national/update/0707/TKY200607070165.html
関連記事抜粋
『突堤の基礎部分のすき間をふさぐ「防砂板」が破損し、砂が海中に吸い出されて砂浜に多数の陥没が生じていることを認識していたのに、十分な調査や対策工事をせず、事故防止のために突堤に接した砂浜一帯に人が立ち入らないようにする対策を怠った』
人口施設の管理を怠った責任は当然、追求されるべき。
これが許されるんなら、エレベーター、ジェットコースター、電車、飛行機、定期点検を怠って問題が発生しても、誰も責任を追及されなくなっちゃうよ。
セリフについては、100%を付けるから話がおかしく見えないだけ。言葉遊びをするには、少し選んだネタが悪い気がする。
疲れが溜まってるのか?
というところが重要と考えているよ。
少しでも危険性が予見されるものにすべて対処しろ、というのは、酷な気がする。ということ。
大体、民事で『砂浜を管理していた国と明石市側が遺族に謝罪して責任を認め、賠償金計約8800万円を支払うことで、05年に示談が成立』しているのだし、『昨年7月、当時の明石市長を含む、国や市の関係者が、安全対策や管理の不備など事故の責任を認め、謝罪した。しかし、その場に被告4人の姿はなかった。』っていう件(くだり)からも、元国交省姫路河川国道事務所工務第1課長梶勲(62)=退職▽元同事務所東播海岸出張所長時沢真一(58)▽元明石市土木部参事青田正博(61)=退職▽元同市海岸・治水課長金井澄(54)、4人の無責任さに呆れかえるばかりだ。
記事の中にある『なぜ私がこの場に立たされているのか分からない』『過失が問われることは遺憾』『私に(現場への立ち入り禁止措置を取る)権限はなかった』と言った、お役所らしい開き直った態度が本当に鼻に付く。
言い換えると、「マジ、むかつく」だ!
こんな言い分が通るなら、三菱自動車も松下電気も17歳少年も北朝鮮もみんな無罪だよ。
(と書いて、煽ってみる。)
こんな言い分がとおるなら...の例で出されている連中は有罪または過失ありだろ、さすがに。
この事件を特に取り上げたかったのではなく、言いたかったのは
誰にも責任をとえない、悲しいケースはある。ということ。
『なぜ私がこの場に立たされているのか分からない』の発言はどうかと思うが
『過失が問われることは遺憾』は、もし、その人が本当に自分を無関係と信じていたばあい、人としての本音の発言という気がする。
それが本当かどうかは細かい状況を検証しないとなんともいえんだろう。
危険性を想像できなかったのは、仕方のない知識不足なのか、それとも怠惰による知識不足なのかは本当に判断が難しいだろう。
仮に身近に、それらの問題を前もってうまく対応した例があったとしても、対応した人だけがやたらとスキルが高かったことが理由かもしれない。
逆に近隣の別の場所でも同様の問題が放置されていたとしても、
それは関連する管理者が全員怠惰なのかもしれない。
謝罪しなかった経緯は不明だが、好意的に捉えた場合
「刑事裁判で争っているのに謝罪できない」
というのはあるかもしれん。